士郎正宗原作のコミックを、押井守が監督したアニメーション映画です。
西暦2029年。ネットは世界を覆い、人間の限界は大きく広がったが、 まだ国や民族はなくなっていないような近未来。
草薙素子は全身を機械化したサイボーグ。
公安9課という特殊部隊に所属している。
最近、自分と言う存在に疑問を持ち始めている。 自分の体はほとんどが機械化され、オリジナルの自分はごくわずか。 自分と言う存在を証明するものは、一体何なのか。 自分自身で見たこともない自分の脳を信じることが、 彼女には次第にあやうくなってきていた。
ある時、公安9課に一人のサイボーグが拘束される。
その人格は、有名なクラッカー「人形使い」である、 と言って引渡しを求めてくる外事6課。
だが、引渡しの最中、人形使いは9課に保護を求める。 自分は人間ではないことを宣言し、その上で一生命体として亡命を希望する。
「わたしは、情報の海で発生した生命体だ…」
6課は何故か、汚い手を使って人形使いを連れ去る。
6課との命がけの攻防の末、人形使いを手に入れた素子は、 彼から思いがけぬ申し出を受ける…
テーマ的には、士郎正宗のコミックのテーマを、
押井守的に掘り下げて表に出してきた感じがあります。
士郎正宗のコミックは、画面内、
そしてコマの外のあまりに過剰な情報と比較すると、
登場人物たちは寡黙で、その行動によって何かを語らせようとします。
対して、押井守は、登場人物が誰も彼も饒舌であり、
その言葉によって紡がれる世界を見せようとします。
そして、主人公の性格設定にも違いが見られます。
士郎版の素子は、戦いのプロとして生きることには納得し、
生への執着を決して忘れることはありません。
その戦いの中で、自分と言う存在に疑問は持つものの、
生存本能にしたがって、極めてドライに人形使いに向かい合います。
対して、押井版の素子は、最初から何か諦念を抱いた女性として描かれています。
かなりウエットに、情念に捕らわれた女性として行動し、
クライマックスでは、自らの命を危険に晒して、
明らかに勝ち目のない行動に出ます。
このような意味で、コミックと映画とは明らかに違った作品であり、
映画の方は、押井守の作品に染められきっているのです。
公開時には、大変なコマーシャルを行なったので、
アニメファンでない人でも、見に来た人が多かったようです。
映画館でチラチラと聞こえる、そんな人たちの感想に耳を傾けると、
やはり「重かった」という意見が多数でした。
テーマは重く、難解であり、画面もそれにふさわしい密度を持っています。
このような意見は当然だと思いましたが、
実はファンにとってはそれほどでもなかったのです。
コミック版をしっかりと読み込んでいた者にとって、
この映画で語られる部分はそのエッセンスであり、
むしろ一般向けに噛み砕かれた、わかりやすい映画に思われるのです。
これは押井守の饒舌さが良い方向に作用した結果と思われます。
ファンは、むしろ食い足りない印象を持った人が多かったようです。
クライマックスをもっと突っ込んで欲しい、
いやにさっぱりした印象を受ける、そんな意見が私の周りでは聞かれました。
知らない人には良くわからなく、
知っている人には面白いけれどややもの足りない、
そんな映画となったようです。
技術的な見方では、ほとんどアニメーションの限界のような作品です。
美しい背景美術、空間の質感まであらわになる画面、
アニメの弱点、奥行き感覚をかなりの点で克服したCG、
確かに彼のアニメーション技術の集大成のような作品です。
画面作りを見るだけでも、わかる人には楽しめるものとなっています。
いろいろ書きましたが、今の日本のアニメーションの世界を知ろうとするならば、
外すことはできない作品であることには間違いありません。
少なくとも、レンタルビデオで借りて後悔するようなものではないはずです。
一度御覧下さい。
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